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がんばっていきまっしょい。

ボツ案

『炎上少女』 

 

俺にだって、初恋くらいあった。

 それはまだ俺が小学校に上がる前の話で、相手は名前も知らない少女だった。
 幼なじみの遥やうちのバカ姉と近所の公園で遊んでいるうちに、いつのまにか混ざっていたのが彼女だった。
 子どもは毎日遊び相手が変わろうが知ったこっちゃない、ゲームの頭数が揃えばそれでいい。ということで俺も最初は少女のことを気にもしていなかったが、いつのまにか少女を目で追い、その一挙手一投足に心を震わせるようになっていた。
 少女は俺らと同い年くらいのようだった。俺らが遊んでいると気弱な笑みを浮かべながら申し訳無さそうに加わった。少女はその年代に比しても小柄で、平均的な体型であるはずの遥と比べてもその小ささは際だっていた。小さくてかわいい、という見方もできるが、どちらかというと「小さくてやせっぽちでなんだかかわいそう」という感覚を抱かせる少女だった。それは少女の性質がそう見せていたということもある。
 というのも、少女はいつもオドオドし、能面のように貼り付けた笑みで愛想笑いを浮かべてばかりだったからだ。俺らの輪に加わろうとしていることからも友だちを作りたいという強い想いは伝わってきたのだが、いかんせん少女は不器用過ぎた。存在感は薄く、こちらから話しかけなければ一言も発しないような内気な性格をしていた。時折話しかけてみても明らかにテンパって、目が泳ぎ、アワアワと焦りだし、口を突いて出る言葉もしどろもどろで何を言っているのかさっぱりわからなかった。それで俺らが困惑していると、少女は瞳に大粒の涙を溜め、俯き、けれど泣いてはいけないと己を奮い立たせ、手で目を拭った後に顔を上げてまた能面のような笑みを顔に貼り付けた。
 それを俺の仲間達は不気味に思い、あるいは面倒に思い、すぐに少女にかまうのをやめるようになったのだが、俺はその笑顔に、いつも胸を締め付けられた。自分でも何故だかわからない、でも彼女を、少女を守ってやりたいと、そう強く願うようになっていた。もしかしたら妹でもできたかのような感覚になっていたのかもしれない。それはわからない。今になっても。

 だからそう、少女は俺らの輪に加わっていたといっても隅でチョロチョロしていただけで、空気のような存在だった。誰も少女を相手にしなかったし、気にも留めなかった。別にハブにしようとしていたわけでもなかったし、俺の仲間にイジメをするような歪んだ奴もいなかったが(そもそも小学校に上がる前の話だ)、遊びに夢中になった子どもに、不器用な子どもを気にかけろというのも無理な話だ。必然少女は隅で愛想笑いを浮かべながら『参加しているような感じ』にならざるおえなかった。周囲からは輪の中にいるように見えただろうが、俺らには少女が「仲間か」と問われれば、即答できないようなところがあった。誰もが少女を忘れた。あるいはいない者として扱った。
 俺以外は。
 俺は少女が隅で所在なさげにしていたらパスを回し、かくれんぼで一人忘れられたら皆にその存在を思い出させるように努めた。いつも気に留めて少女が疎外感を味わわないように頑張った。例えばドッジやサッカーで少女にパスを回すと味方からは非難を浴びたが(もちろん少女はボールを奪われることしかできなかったからだ)、それでも俺は少女にボールを回し続けた。そのことで散々「お前あいつのこと好きなんだろー!」とからかわれたりもしたし、それは幼い俺を激しく困惑させ、顔を真っ赤にしながら掴みかかることすらあったが、それでも俺は「俺があの子を守るんだ」という使命感のようなものに燃え、少女を害する全てのモノを俺が排除するのだとやっきになっていた。うちのバカ姉にもからかわれたし、遥は俺が少女の肩を持つと決まってブスッとふてくされたが、俺は少女を放ってはおけなかった。
 異性というモノを知るには幼すぎた。
 でもそれが俺の初めての「好き」という気持ちだったのだろうと思う。
 そしてそれ以来、俺はその「好き」という気持ちを抱いたことはない。

 少女との距離は日増しに近づいて、少女は、いつしか俺に懐いてくれるようになった。同年代で懐くという言い方も少し変だが、俺にはその言い方がしっくりくる。少女は、俺に心を開いてくれるようになった。少女と二人でいると、少女は俺に自分の話をしてくれるようになった。
 曰く、母親は自分を生んですぐに死んでしまったこと。
 曰く、父は男手ひとつで私を育ててくれてて、とってもやさしいし、大好きなこと。
 曰く、友だちが欲しいけど、こんな性格だからうまくいかなくて、そんな自分が嫌いなこと。
 俺はよく知った顔でそういう話をフンフン聞き、しょんぼり顔の少女の頭をクシャクシャと撫で回し(当時静姉がよく俺にそうしてくれていたのだ)、勢いよく自分の胸を叩いて
「大丈夫だ!」
 と言い放っていた。
 何が大丈夫なのかよくわからないが、俺は少女を元気付けたかったのだ。俺は君の味方なのだと、そう伝えたかった。それがガキなりの意思表示だった。それを見た少女はしばらくのあいだ目を丸くして、そのあとクスリと笑って、俺に、ハニかんだ笑みをくれた。それは俺の胸に、とてもあたたかく、やさしい液体となって流れ込んだ。ゆっくりと、じんわりと、俺の五臓六腑は、包み込まれ、癒された。

 そしてあの日がやってくる。
 あの日、俺たちはいつものように遊び、疲れ、帰路に着いた。そうしたら突然後ろから服を引っ張られ、振り向くと、少女が顔を赤らめて上目遣いに俺を見ていた。その様子は、いつもとは少しちがっていて、俺は、ドギマギしつつ、少女に問いかけた。
「な、なななななにっ」
 声は震えた。声だけじゃなく、膝も。
 少女は手を胸の前で組み、もじもじし、何度も声を詰まらせ目を伏せ、でも意を決したかのように顔を上げ、俺の目を見据えて、言った。
「あ、あのっ、あ、あ、ありが、ありがとう……!」
 その夕陽に染まった満面の笑みは、涙を溜めて濡れた睫毛は、今でも俺の脳裏に焼き付いている。まるで宗教画のように、俺の古き良き幼少時代の象徴として、厳重に鍵を掛けられて胸にしまわれている。
 そのとき俺は真っ白になったが、ガキなりに何かを言おうとして、けれど背後でバカ姉がニヤニヤしている事実に気が付き、耳まで沸騰し、堪えきれずに踵を返して駆けだした。
「あっ」
 という少女の声が聞こえたが、振り返ることもせず一目散に家に駆け、服を脱ぎ、浴槽へとダイブした。心臓が太鼓を打ち、全身が火照り、俺は雄叫びを上げながら何度も湯船に顔を打ち付けた。もちろんその後はのぼせてブッ倒れたが。
 それがとある冬の日のことで、俺が少女を見た最後の日となった。
 少女は俺の前から姿を消した。
 忽然と。

「まさかこの街でこんなおぞましい事件がねぇ」
 俺も事件のことはなんとなく知ってはいた。街の雰囲気が尋常ではなかったからだ。いつもは「外で遊んで来い」と口うるさい親も「家にいろ」とあまり外に出してはくれなくなったし、幼稚園でも先生達がピリピリしていた。幼いながらに友人達と情報交換をした後、どうもこの街に誘拐犯が出没しているらしい事実を知った。誘拐、という言葉こそ知ってはいたがその恐ろしさまでは知る由もなく、ただ友人から「知り合いの子がいなくなっちゃったんだ」と聞かされて、「ふぅん」などと頷いてみせるだけだった。
 外で遊べずに家で退屈を持て余しているうちに、犯人が捕まった。俺はそれを喜んだが、大人達は一様に複雑な表情を浮かべた。犯人は、この街に住む中年の男だったからだ。
 連続幼児誘拐殺人事件、犯人は、なんの変哲もないこの街に住む中年の男で、連れ去られた幼児たちは山中で見るも無惨な姿で発見された。
 と言ってもその犠牲者の中に俺の初恋の君がいたというわけじゃあない。
 むしろその逆で、少女は加害者の側にいた。
 少女の父親が、犯人だったのだ。

 けれど俺がその事実を知ったのは少女が街を去ってからのことで、俺はしばらくあの公園で少女を待ち続けた。日常が戻ってからずっと、公園でいつもの仲間と駆け回りながらも、少女がやってくる方角を気にし続けた。胸は高鳴り息は弾み、今か今かと待ち続けた。愚かにも俺は彼女の家を知らなかった。名前すら知らなかった。
 なのにいつまで経っても現れず、痺れを切らした俺は恥を忍んで静姉に聞いてみた。そうしたら靜姉は、悲しげに目を伏せて教えてくれたのだ。
「あの子、もういないよ。引っ越しちゃったから」
 と。

 事件の顛末は母さんに聞いた。
どんなにおぞましい事件だったか、どんなに狂った事件だったか、犯人はとんだサイコ野郎で、友人の息子も犠牲になりかけた。でもそのサイコ野郎ももういないし、サイコ野郎の娘もどっか行ったし、この街はまた安全なのだと。安全で平穏で、私達のような善良な市民が住むにはそれはもうサイコーな場所なのだと。
 俺は堪らずに聞いた。
「でもあの子は何も悪くないじゃないか。どうしてあの子が引っ越さなくちゃならないの?」
 すると母さんは言った。
「それはね、誰もその子を引き取ろうとはしなかったからよ」
「どうして引き取ってくれないの? だってあの子、俺らと遊びたがってたのに、せっかく仲良くなれてきてたのに!」
 すると母さんはきょとんと首を傾げて、ぽつりと、言った。
「だってあぶないじゃない、めんどうだし」

   だってあぶないじゃない、めんどうだし。

 この言葉は今でも俺の心に楔となって打ち込まれている。
 だってあぶないじゃない、めんどうだし。
 何があぶないのだろう、何がめんどうなのだろう。
 あのやせっぽちの少女のいったいどこが危ないというのか。一番辛いのは少女なのに、どうして厄介者扱いされなければならないのか。めんどうだと言うが、子どもを守るのが大人の役目なんじゃないのか。
 何が悲しくて、見ず知らずの人に、こんなことを言われなくちゃならないのか。
 そう言いたかったが、幼すぎた俺には考えを纏めきれず、ただ当たり前のように放たれたその言葉に、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 
 思えばこれが道を踏み外した第一歩で、ここから俺は社会とかいうやつと折り合いを付けることができなくなってしまったのかもしれない。
 大人という生き物に、違和感を覚えるようになってしまった。
 原風景と言うとカッコ付け過ぎだが、たしかに今でもあの少女は俺の胸の内に息づいている。
 あの少女の、あの夕暮れで俺に俺だけにくれたあの笑みは、涙目で恥ずかしそうに、けれど勇気を振り絞って見せてくれたあの笑みは、染み渡る薬効のように、あたたかな液体となり、血流に乗り、俺の五臓六腑に、手足の先まで行き渡った。


 俺は今日も、あの少女を追い求めて生きている。