読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

開店休業

趣味の徒然うつらつら(2016年他ブログより移転)

友情とかやさしさとか情の深さとか

 ついったを眺めているとつとに「友情ってなんじゃらほい」と思い、その流れで「やさしさってなんじゃほい」と思う。もちろんそんなものは各人の中でしか答えの出せないものだが、思う。で、思い出したのがこの言葉。

愛情とは、自分の時間を犠牲にしてでも、相手に時間をさいてやることだ。by.Dr,ドリトル


 ああこれだな、と思った。世にやさしさを定義した文章は数あれど(あるのか?)、これが個人的に一番しっくりくる。愛情の中に友情ややさしさも含めて考え、「やさしさとは、自分の時間を犠牲にしてでも相手の為に時間を割いてやること」と考えると、とてもしっくりくる。

 僕は人にやさしくありたいと願っているが自分の時間を消費させられることに人一倍敏感である。何かをしたいと欲望している時にお願いなんかされると「時間がー、俺の時間がー」となってしまう。しかし、だからこそやさしい人というのは自らの限られた時間を削ってでも他人の為に何かをしてあげられる、それが本当の情というやつなのだろう、と考えた。

 ここで肝心なのは「誰かの為に時間を割くことが自分の利になってはならない」ということだ。例えばその人に恩を売っておこうだとか、後々の関係を考えてだとか、そういうやましい下心があってはならない。それでは見返りを求めることになり時間の浪費にはならないからだ。

 これは個人的な体験からもそう思うところであり、僕は「この人が僕に時間を割いてもなんの得にもならないのになあ」と思う人に時間を割いてあれこれ話に乗ってもらったりしたことが多々あるのだが、なんかこうすごく恩義を感じている。「ああ、この人の為に何かをしてあげたい」と思った。すごく嬉しかったし信頼できたのだ。どう考えても僕なんか彼にとってはどうでもいい人物なのに、いやな顔ひとつせず時間を割いてくれた、人として尊敬してしまう。

 究極的に時間という一番の財産を投げ打つ行為、ここにこそ情が宿る。
 僕の周りには僕を含めて自分の時間を取られることに敏感な人が多い気がするのだが、一言で言えばそういう人は情に薄い。それで割り切って生きられればよいが、僕なんかはけっこう人を傷つけてしまうことを恐れるので割り切ることはできない。よく「あー、今発言で傷つけちゃったかもなぁ…」と悩んでヘコんだりする。その割には時間を割く行為には敏感である。この定義で言えばやはりやさしさが足りない。

 個人的には確固とした個を持ち「人は人、自分は自分」という価値観を持っている人には情に薄い人が多い気がしている。そういう人は断絶を恐れないし、繋がりに価値を見いだしていないからだ。
 この感じはクリエイタータイプに多いが、それが世界を強固にしているともいえ、受け手目線では「いいぞもっとやれ」とあこがれるが、私生活の友人としては若干めんどくさいな、と思ってしまうかもしれない。別にあなたがこっちに価値を見いだしていないなら僕だって離れます、と。まあそういう人は強いのでなんとも思わないのだろうが。シンパシーがあるので一概には言えないけれども。

 友情の度合いを推し量ることが可能であるとすれば、その人のことをどれくらい大切に考えているかを量ることができるとすれば、それは『自分がどれだけの時間をその人に無償で使ってあげられるか』という思考から導き出せるかもしれない。
 情の深さというやつだ。もちろんゲスい発想だ。

 まあそんなことを考えた。