開店休業

趣味の徒然うつらつら(2016年他ブログより移転)

即興

 いつの頃からか彼女の家に行くことはなくなって、それは彼女が死んでしまったからだ。
 それでも行こうと思えば行くことはできた。彼女の妹がいたからだ。
 僕と彼女の妹はそれなりに仲が良くて、彼女を抜きにして遊びこともそれなりにあった。だから彼女の妹に会いに行く、という口実で彼女の家に行くことはできたし、彼女の両親もまたそれを望んでいた。僕は彼女の両親ともとても仲がよかったから。
 でも、もちろん僕はそうはしなかった。
 そんなことできるわけがない、あの家に、近づくことなんてできやしなかった。
 それに周りが「彼女の妹を狙いだしたぞ」なんて言い始めないとも限らないし、結局僕は彼女が死んでから今まであの家には行っていない。彼女の両親とも会ってはいない。
 でも、彼女の妹とは頻繁に会っている。
 むしろ、付き合っている。
「ねぇ、またお姉ちゃんのこと、考えているんでしょ」
「……えっ」
「ほら」
 ムスッとした顔で『ずずずっ』っと紅茶をすする彼女。ぼんやりとした視界がクリアになっていき、輪郭を帯びていく。目の前で、僕の大好きな、あの少し垂れ下がった目で、きつい視線を僕に送っていた。
 でもそれは、どこかさみしそうでもあって。
「今夜の献立のことを考えていたんだよ」と僕。「僕のレパートリーは少ないからね。いっそのこと鍋にでもしてしまおうか」
「鍋かぁ」と彼女は言う。「鍋は先週も食べた気がするけど、うちで。でもいいかなぁ、あー君とお鍋をつつくのって、まだしたことなかったもんね…………なに?」
「え」
「じっと見つめたりして」
「あっ」
 慌てて視線を外す。自分でも気がつかなかった。でも、確かに僕は彼女を見つめていた。無意識に。
 そして、彼女の面影を見ていた。
「…………」
「…………ごめん」
「……いいけど、さ」あきらめたように息を吐く。「似てるもんね、わたしたち。ううん、似すぎてるかな。まるで双子のように瓜二つだよね。おかあさんもいっつも言ってるんだ、『まるで生き写しね』って。わたしもそう思う。わたし、おねえちゃんととってもよく似てる。でもそれはいやじゃないんだよ。だってそのおかげでこうしてあー君と一緒にいられるんだから」
「……え?」
「あー君、わたしの顔が好きなんでしょ? お姉ちゃんといっしょだから。わたしにキスするとき、お姉ちゃんにキスしてるつもりになってるんでしょ?」
「…………なに言って」
「ほら即答できなかった」
 また紅茶を『ずずずっ』とすする。「あちっ!」と顔をしかめてマグカップを離した。猫舌なのだ。そういうところも、似ている。
「わたしはお姉ちゃんじゃないけど、お姉ちゃんでもいいよ。それでいいの、だってわたし、お姉ちゃんのこと好きだったから。知ってるよね」
「…………」
 彼女が死んでしまったのは、今から3年前の冬の日で、そのとき僕らはまだ中学二年生だった。そして今目の前にいる彼女のまた、中学二年生だ。少しの年の差がある。彼女は、姉がいなくなってしまったその命日の日に僕を呼び出し、告白をした。それを僕は、さんざん悩んだ末に受けとった。
 それ以来、彼女はみるみる姉に近づいていく。
 まるで、模倣しているかのように。
「あまり、そういうのはよくないね」と僕は言う。「A子はさ、あいつの真似をしてるだけだよ。そういうの、よくないよ。僕はA子が好きなのであって、あいつじゃないんだ。今はもう、あいつはいないんだから。だからいいんだよ、そういうの。自分のままで、僕といっしょにいてくれよ」
「いや」と首を降って、「おぼえてる? わたしが思い切ってショートカットにしてきたとき、あー君すごく挙動不審になって、二週間もずっとぼんやりしてたんだよ? わたし、おねえちゃんと同じでずっと伸してたから、だからこの際短くしてみようかなって思って、思い切ってそうしたんだけど、あー君はさ、それを受け止めきれなかったじゃん。わたしだけの問題じゃないんだよ、これは、あー君の問題でもあるの。わたしがこうしているのは、あー君の心をつなぎ止める為でもあるの。私と付き合う前までのあー君、死んでたもん。あんなの、わたしもう見たくないよ」
「…………」
 そう、たしかに僕は死んでいた。世界に膜が張り、茫漠とし、手を伸しても視界がぐにゃりを曲がって物を掴むことができなかった。ひどいときにはそれくらいになった。
 目の前の、この子と一緒にいるようになってから、少しずつ、少しずつ世界が色彩を取り戻してきたのだった。
「だから、この話はおしまい。いつか、また、ね。その時がきたら」
「…………」
 彼女は紅茶を飲み干すと、「いったん帰るね、着替えてくる。またすぐ戻ってくるから」と言って僕の部屋を出て行った。ここは女子禁制の寮なのに、こういう大胆なところも似ている。
 似すぎている。
「…………はぁあああああああああああっ」
 大きく息を吐いて、万年床に倒れ込んだ。
 窓の外ではざぁざぁと雨が降り注いでいて、雨だれの音が絶え間なく響いている。
 
 僕は、あの子を傷つけても、過去にすがろうとしているのだろうか。
 それをどうすることもできないのだろうか。
 いったいどうすれば、過去を断ち切ることができるのだろう。

 雨は降り止まず、僕はただ、彼女が戻って来るまで天井の染みをぼんやりと眺め続け