読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

開店休業

趣味の徒然うつらつら(2016年他ブログより移転)

穢れなき黒髪ロング(黒髪ロング考)

 ※この記事は、9/6「クロの日」つまりは「黒髪ロングの日」にブログ「水星さん家」様主催で催された「黒髪ロング祭り」に乗り遅れたものです。(サイト様はこちら→黒髪ロング祭り作品まとめ)よって、単にふつうの投稿記事となってしまいました…。

編集ってつねに新たな「関係の発見」をめざすものです。
「連塾 方法日本Ⅱ 著:松岡正剛(春秋社)」


 黒髪ロング(ストレート)の魅力を一言で言い表すことは大変難しい。例えば説明を試みようと「孤高」「母性」等の要素を挙げたとしても、一つを挙げれば他が抜け落ち、結局はその多様性からの魅力、もしくは要素(魅力)を羅列したものを語るに落ち着くことになる。世には数多くの優れた黒髪ロング論が存在するが、やはり私はその魅力を「一言」で言い表したものにはお目にかかったことはない。ここからしても如何に黒髪ロングを語ることが困難であるかおわかりいただけると思う。黒髪ロングとはそれだけ奥深いものなのだ。黒髪ロング愛好家の皆様方、あなたは黒髪ロングの魅力を一言で言い表すことができますか?あなただけにとっての魅力ではない、「万人に」とっての魅力を。
 このお話は、有史以来の難問にも恐れず立ち向かった勇気ある男の物語である----。

 僕は黒髪ロングが好きです。他にも美少女の要素として好んでいるものはありますが、そのなかでも黒髪ロングはTOP3には入る要素です。(真正スキーの方々には鼻で笑われそうですが)
 では、「物語」における黒髪ロングの魅力とはなんなのでしょうか。何故僕たちは黒髪ロングに惹かれるのでしょうか。 先に述べましたように、これを一言で言い切ることは困難を極めます。しかし、諦めてしまったらそこで試合終了です。思ってもいないことを言ってしまうのはいけませんが、うんうん可能性を探っていくことは容認されて然るべきでしょう。
 というわけで、この記事は黒髪ロングが喚起する魅力の一つ一つ、その全ての要素に伏流する「核」を抉り出す試みであります。 
 【関係の発見】「これとこれは結びつきそうだ、でもどうして結びつくと思えるのだろう?」
 最終的には、全ての魅力の土台となっている「これだけは外せないという要素」を一言で言い切るつもりでいます。
 お付き合い頂ければ幸いです。

 ----まず、僕の個人的な感覚として、黒髪ロングを一言で言い現すならばどのような言葉を選ぶか考えてみた。

「秘」「内」「凛」「鋭」「和」「母」「土」「風」「純真」「艶」「妖」「静」「幻想」「魔女」「姫」「勉強」

 まだ考えれば思いつくだろうが、ざっとこんな感じで。
 では対比として「黒髪ショート」の子をイメージして言葉を選んでみよう。

「元気」「外向」「駆」「前向き」「笑顔」「快活」「朗らか」「動」「純真」「現実」「運動」

 多分に適当ですが、まあこんな感じで。純真が被ったのは「黒髪」が喚起するイメージからだろう。
 人それぞれ差異はあるにしても、パブリックイメージとしてはそれほどかけ離れていないと思うのだが、どうか。
 みんな大好き「けいおん!」がわかりやすいが、黒髪ロングキャラの澪(※1画像)がおとなしい娘なのに対して、ショートの律(※2画像)は外向的でパワフルなドラマーである。これが反対に黒髪ロングがドラムで外向的で、ショートがベースで内向的な組み合わせだと、ちょっと先鋭的に思える、そわそわして落ち着かなくなる。(僕だけではないだろう)

 ここから見えてきたのは、ロングは「内」、ショートは「外」というイメージを喚起させるという事実。
 いわゆる物語に於けるキャラクターの容姿とは、多分に内面を反映させているもの、つまりは制作者・ユーザーの「イメージ」が投影されるものである。ということは、黒髪ロングのキャラクターは「内に籠もる」ようなイメージがあるということだ。反対にショートであれば「外に向かっていく」イメージがある。
 「静」と「動」の中に何を見るかということなのだが、これは黒髪ロングの魅力が「佇まいの美」に依っていることを意味しているはずだ。

 佇まいが魅力ということは、僕たちは彼女の醸し出す雰囲気を魅力と感じているということだ。この微妙な感覚、これはショートにはないものだと思う。
 僕たちはその佇まいから様々な印象を抱く。これは幻想を投影しているといってもよい。彼女の長い黒髪は、多種多様な幻想を内包する。
 が、それは「静」に依ったものである。

 さて、彼女が「内」の存在であることはわかった。ということは、彼女はあまりこの世界に馴染めていない可能性が高い。
 黒髪ロングは令嬢のイコンとして機能したりするが、この場合は家柄から「淑女」として育てられた事を示唆している。その髪型は、純粋な意味で「彼女が自ら選んだもの」ではない。つまりは外界から隔絶された存在であることを端的に示している。彼女は俗世に染まってはいけない人間である、いや、染まることの許されない人間である。
 要は箱入り娘といった意味だが、その他多くの黒髪ロングキャラも少なからず箱入り娘的であり、常人とは「立ち位置が離れている」ことが多いはずだ。彼女は(僕らに)幻想を身に纏わされた存在であるからだ。幻想とは、言うまでもなく穢れなき「箱入り娘」という幻想だ。
 先に例に出した「けいおん!」の澪も、ファンクラブを設立されてしまうなど、常人と同じ立ち位置にはいない。彼女にとっては、けいおん部はなくてはならないものであり、だからこそ自分の推薦を蹴ってまで「皆で同じ大学に行こう」と提案してしまったりする。一人ではいられないのだ。この提案をするのは黒髪ロングである彼女の役回りである。

 この印象は現実世界だったらまた話は別だ。現実では黒髪ロングもファッションと化している節があり、物語内におけるような「厳かさ」は限りなく薄れている。仕方のないことだが、現実において髪型は異性に対するアピールとなってしまうからである。もしかしたらそこには自分の内面も投影されているのかもしれないが、異性の目を気にしたものであることは間違いない。この髪型をもって現実にコミットしていこうとする。要は黒髪ロングを好む異性がいると知っており、自らをそのようにキャラクタ付ける為に採用される事がままあるという意味だ。

 しかし物語における黒髪ロングはそうではない。俗世に染まっていないのだから、彼女の髪型はファッションではないのだ。彼女は髪を染めたり、ウエーブをかけたりといった数ある選択肢の中からその髪型を選びとったのではない。何度も言うが、物語においては髪型は内面を現すものとして機能するのだから。
 俗世に染まっていない、異性に対するアピールではない、ということは必然的な帰結として黒髪ロングの私服は派手なものではない。ましてや流行のものであるはずがない。(デートイベント等で着用する事もあるが、それは彼女がそのような可愛らしい服を身に纏ったという事実が付加価値として作用する)
 彼女は自然体としてそこに存在している、つまりは物語内における現実の「外」に位置する者なのだ。

 立ち位置がズレている為に彼女はさみしさを抱えている。孤立している。
 しかしそれでもそれを受け入れ凛としている少女ならば、時にこの佇まいは「孤高」と形容されるが、しかし孤高であることが「強い」とは限らない。
 むしろ黒髪ロングの心は堅そうに見えてとても脆い、少し力を込めるだけでパリンと割れてしまうような代物だ。
 何故なら物語上の都合として内に問題や葛藤を抱えているからだ。

 では、何故皆と交わることができないのだろうか。
 それは黒髪ロングの性質が「内」に向いている為、その「内側の問題を解消する物語」を発動させるからだ。
 例えば謎の美少女転校生は黒髪ロングの専売特許である。謎は黒髪ロングが引き受けるべき案件だ。この場合、彼女は異界からの使者であり、その謎は少なからず彼女自身の問題ともシンクロしている。例、「果てしなく青いこの空の下で」八車文乃(※3画像)

 ショートカット少女と謎の組み合わせは似合わないと言えるだろう。ショートカットに「秘」の一文字はパブリックイメージとしてそぐわない。彼女は現実に地に足付けて生きているからである。妖女は黒髪ロングでなければならない。

 物語とはなにかの解消に向かって突き進むものだ。
 よって黒髪ロングがヒロインであるならば、物語は「内面の解消」、彼女を救うものとして機能する。物語において多くの少女は問題を抱えているものだろうと思われるかもしれないが、黒髪ロングはとりわけ顕著だ。
 何故なら彼女は自立することができない、現実を一人生きられるだけの強さを持っていないのだから。主人公と出会うことは物語的必然なのである。
 彼女は世界にあって一人ぼっち、しかし一人では運命に立ち向かえない。

 これは何も大きな謎を抱えた少女だけに限らない。例えば黒髪ロングの優等生委員長を例に挙げるが、彼女は基本的にクラスを纏める為に自己を犠牲にしている。皆と一緒に馬鹿騒ぎをするという特権を自ら放棄し、秩序の為に身を投げ打っている。彼女の性分がそうだから、彼女がそう望むから、ではない。変な言い方になってしまうが、彼女は物語にそう望まれて委員長に就任せずにはいられないのである。これは溶け込めているように見えていてもそうなのであり、そこには薄い壁が存在する。この場合この壁を壊すものとして主人公が機能するだろう。主人公は彼女の手を引くのである。
 そう、黒髪ロングの少女は、常に向こう側からこちら側へと「手を引かれる」存在である。

 それはつまりは黒髪ロングとは「君と僕の物語」を発動させる装置、ということだ。
 セカイ系、という意味ではなく、彼女はさみしさのうちにあり、それを解消し手を取り合い生きてゆく未来を内包しているといった意味だ。解凍系の物語とでも言おうか。
 (しかしこれは彼女がヒロインだった場合であり、あくまでも「囚われの姫君」のまま生涯を閉じる黒髪ロングも大勢いるだろう) 

 この論考は、いわゆる「ヤンデレ」に黒髪ロングが多いことからも担保される。
 寂しさに喘いでいるところに手を差し伸べられ、しかしその手を離された(離されそうになった)時、彼女はその事実を受け入れられず狂気に走る。彼女は一人では生きられないのだから。
 黒髪ロングとヤンデレは相性が良い。

 君と僕の物語、これはなにも物語の展開といった意味だけではない。そうではなく、もっと広い意味で、「黒髪ロングを見た瞬間、あなたは何かしらの物語を彼女の中に見る」といった意味でも用いている。主人公が彼女の傍にいようと思うのならば、やはり物語は発動するだろう。
 ということは、僕の側つまりはユーザー側からしてみれば裏切りがないともいえる。
 黒髪ロングのキャラとの繋がりは強固なものになる。なんといったって彼女は箱入り娘、俗世での頼りは僕だけなのだ。
 よって黒髪ロング愛好家には処女愛好家が多い。

 これは暴論だろうか? 
 しかし黒髪ロングの佇まいは「面影」として作用し全てを受け入れる。冒頭述べたように黒髪ロングには一言では言い表せない多種多様な魅力が付与されうるが、そしてその全てを引き受けるが、しかしそれは「静」から想起されるものでなければならない。そして「静」は「内」であるのだから幻想を受け止める「佇まいの美」となり「箱入り娘」と繋がる。そもそも彼女は隔絶された存在である。これらの要素は彼女が「清らかな存在」であることを示唆している。そしてそれを僕らは魅力に感じている。ということは彼女は守られるべき存在だ。 
 これつまり「聖なるもの」としての黒髪ロングだ。黒髪ロング少女とは突き詰めればこの世界にあって「神聖なもの」なのである。
 つまり神聖なものとしては性経験を持っていてはいけない。聖母マリアも聖なるものとして処女懐胎である。
 その意味に置いては処女である可能性が限りなく高い。

 更に言えば、黒髪ロングにはスカートがよく似合うが、黒髪ロング愛好家は得てしてミニスカにはさほどそそられないものだ。膝丈周辺、もしくはロングスカートに惹かれる。そして黒髪ロング少女も私服にロングスカートを好む。(よく制作者に着させられるといった意味で)
 何故僕達はロングスカートにそそられるのか、それは繰り返すが彼女に俗世に染まっていないこと、「聖なる少女」であることを求めているからだ。
 ミニスカートでは俗世に染まっていることになる。これはいわゆるファッションであり、彼女の孤高さは損なわれている。彼女は異性に対するアピールとして自らの「性」を売り物としている。
 反して膝丈周辺、ロングはそうではない。スカートという女らしさ、肌を隠す事による淑女性、いわゆる女性として奥ゆかしい。性に対して距離を置いていることが重要だ。
 これが例えばパンツ(not下着)やなんかだと聖性は損なわれる。「静」が醸し出す雰囲気にはそぐわないからだ。「聖」と「静」は繋がっている。
 僕たちは黒髪ロングに淑女であることを求めている。

 が、何も全ての黒髪ロングが処女であると言っているわけではない。この聖なるイメージを逆手にとったキャラクタ造形も存在するからだ。
 例えば「母」の属性が強く出ているキャラの場合は「恋」よりも「甘え」に傾いている点で処女ではないかもしれない。例えば黒髪ロングのお姉さんキャラが手取り足取り教えてくれるのにはさほどの違和感はない。その時点で関係が対等ではないからだ。僕の浅い知識では抜きゲくらいしか思い出せないのが歯がゆいが、その場合これはいわゆる「お姉さん」の記号として機能する。更に母の側面で言えば、身籠もることは貴く聖なるものであるのだから、負の面ばかりではないはずだ。
 それからまれに妖艶な性の快楽を求める黒髪ロングも見受けられる。これはまさに黒髪ロングの「聖性」を逆手にとったものであり、幼なじみに好感持たれてたと思ってたら実は経験済みだった--くらいなギャップがむしろ興奮を呼ぶ。
 例えば「殻ノ少女」には「月島織姫」という、憧憬の的の黒髪ロング生徒会長がいるのだが(※4画像)、彼女は実は性に溺れた少女として裏で悪いことをしている。この穢れなき「聖性」を利用しギャップを作り出すキャラ造形は他にも数多見受けられるのではないだろうか。
 しかしこの織姫、溺れてはいるがしかし好んで溺れてしまったわけではない。苦しくて逃げこんでしまっただけなのだ。それは彼女がその容姿を引き受けている、「皆の幻想を引き受けている」からこその悲劇である。彼女は本来の自分を押し殺しているうちに歪んでしまった。黒髪ロングのパブリックイメージが巧みに利用されたキャラである。(※5) 

 「綺麗なものを求める心」が黒髪ロングを引き寄せる。
 ここで言う綺麗なものとは、清らかさである。内面の純度である。良くも悪くもそのような印象を纏うのが黒髪ロングである。

 この清らかさがピークに達するのが神風が吹いた時だ。
 神風とは、彼女の長い髪をさらさらと揺らし、スカートをなびかせる聖なる風のことである。

 黒髪ロングとロングスカートの組み合わせがマッチするのは、前述のような奥ゆかしさと共に、風を一身に受けることができるからだ。髪をなびかせると共にスカートをはためかせることができるからだ。
 黒髪ロングの少女は風を纏う少女でもある。
 風が吹けば髪はなびく。当たり前である。が、忘れてはならない。これは黒髪ロングにだけ許された特権である。一陣の風が吹き、髪が流れ、スカートがなびく。
 その時、彼女は天使となる。僕らは少年となり、彼女を見つめる。そこには何人も犯しがたい聖性が宿っている。美、まさに美。
 この一瞬にこそ、黒髪ロングの全てが凝縮されていると言っても過言ではない。

 結論が出た。
 黒髪ロングが喚起する魅力の一つ一つ、その全ての要素に伏流する「核」とは【聖性】である。言い換えれば、僕らにとって、穢れきった世の中にあって【穢れなき存在】が黒髪ロングなのだ。
 彼女は真っ白でまっさらな純真無垢な少女である。そのような幻想を僕らは黒髪ロングに見ている。
 この大前提である土台に各要素が上付けされていく。
 なんだかさして目新しくもない結論に着地してしまったが、とにもかくにもこれが僕の結論である。

 ……りょ、了。


※5 
 黒髪ロングの喚起するイメージを逆手にとったキャラ造形の例を他にも挙げておく。
 例えば黒髪ロングのキャラは「静」のイメージに反して戦いを運命運命付けられていることも多い。
 この時、黒髪ロングは抑圧された「少女性」といった意味合いを孕む。
 戦いに身を投じる黒髪ロングは本当は「少女として生きたいのに生きられない」屈折した思いをその黒髪ロングに秘めている。
 もうひとつ。
 男勝りな性格であるのに絹のような黒髪ロングの持ち主もギャップを利用しているといえる。
 例えば「ARIA」ウンディーネ晃・E・フェラーリ(※6画像)は女性らしさというよりもたくましさを感じさせる女性である。面倒見もよく、言うなれば頼れる姉御的存在だ。実際幼少期は男勝りにかけずり廻っていた。しかし彼女は見事な長く美しい黒髪を纏っている。
 この晃においては、その頼りがいのあるたくましさと黒髪ロングの相乗効果として、魅力が女性的お淑やかさではなく「凛々しさ」に変換される。

mio.jpg※1秋山澪 ritu.jpg※2田井中律
fumino.jpg※3八車文乃 otohime.jpg※4月島織姫
akira.jpg※6晃・E・フェラーリ

 

侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力 (連塾 方法日本)

侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力 (連塾 方法日本)