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趣味の徒然うつらつら(2016年他ブログより移転)

CHAOS;HEAD(カオスヘッド)、レビュー。

(*´д`*)な、七海たんハァハァ。

 主人公と七海とゲロかえるんショップのDQN店員に出会えた事は望外の喜び、買ってよかったぁ~。
 特にあのDQN店員はすばらしい存在感でした。
 
 いやぁ、色々と考えさせられる作品でした。もちろん展開にも引き込まれましたし(ただし序盤のみ)、七海にも萌えられたので満足しています。やっぱりささむー絵はすばらしいなぁ。 
 では僕がこの作品で考えた事をつらつらと書かせて頂きたいと思います。

 「虚構と現実」をテーマに据えているこの作品。僕はそれを知り購入を決意したわけなのですが、実はその意味ではあまり新しい発見もなく、正直に言えば、もうちょっとどうにかならなかったのかなぁという思いもあります。もったいないと思ったのです。
 素材がとても良いだけに、調理の仕方次第でいくらでもオンリーワンな作品になり得たのにと思いました。(少し高慢な言い方かもです。お許し下さい)

 この作品は「おたく」を主人公に据えています。そして、主人公がおたくだからこそ展開できる物語を描こうとしました。つまり、おたくの特性や心情を盛り込んだ、【おたくによるおたくの物語】を描こうとしたという事です。
 ただ共感を呼ぶ為の演出としてのおたくではなく、物語の主題として「おたく」を用いてきました。
 これは他に類を見ない珍しい試みで、僕はそこにとても惹かれました。で、そんなおたくを主人公に据えた物語、それは一体どのようなものになるのだろうと注視し、展開を追っていきました。
 
 そしてラスト後に抱いたのが「色々と限界を露呈したゲームだったなぁ」という感想です。良くも悪くもそこには「おたく的想像力」の限界が描かれていたと思います。

 おたくという存在は虚構との親和性がとてつもなく高く、このゲームは「虚構と現実」というものが一つの大きな主題となっている為、そこにおたくを主人公に据える意味がありました。
 しかし現実に生きるぼくらおたくは結局のところ虚構に焦がれながらも現実を生きるしかなく、そこにはある種の諦念を抱かざるおえなく、「現実」というとてつもなく強固な枠組みがいつも僕らにのしかかってきています。
 で、この主人公も序盤ではそんな具合に現実に苦しんでいました。だから僕はそれを良いと思いました。シンクロしました。「そうだよね、現実を生きるのってむつかしいよね」っていう具合に主人公をかなり応援したくなりました。

 ですが、最終的に、この独特な「おたく」という設定を持つ【ぼくらの】物語が、結局は大きな古典的な物語、つまりは英雄譚に回収されてしまいました。
 主人公はぼくらとは異なり「本当に物語の主人公」になり、世界を救いました。これはとても考えさせられる事象です。
 
 結局は虚構の物語に回収されてしまった。
 中二病中二病による中二病の為の物語になってしまった。
 決して虚構を生きれないおたくを軸に据えていたにも関わらず、なぜ現実は描かれなかったのか、それが問題として浮かび上がってきたのです。

 少し話を急ぎすぎてしまいました。
 以下わかりやすく噛み砕いて御説明していきたいと思います。

 この物語の主人公は廃人一歩手前の萌え&ネトゲおたくで、しかも引き籠もり気味の、かなりの外れ者、つまりアウトサイダーです。
 うまいこと現実世界に適応できていなく、適応する必要性を見出していなく、言ってしまえばこの「現実社会」という枠組みへの反抗者です。
 それは現実よりも虚構に価値を見出しているからで、少なからず僕らリアルワールドのおたくも彼と同じく「できるならばアニメや漫画のような世界に生きたい」という願いを抱いていると思います。
 彼は僕らの分身であり、現実感覚で言えば「痛い」彼とシンクロしないおたくはほとんどいないのではないでしょうか。(嫌悪という名のシンクロもあったようですが……)

 しかしながら僕らはそれでもなんとか現実(社会)を生きるしかなく、「アニメや漫画みたいな世界が現実には存在するはずもなく、僕は物語の主人公にはなれない」という諦念を抱えながら日々を精一杯頑張っていくしかありません。
 現実に生きる僕らは「所詮は虚構は虚構」と、ある種の悲しい割り切りをもって生きていかざるおえないという事です。少なくとも僕はそうです。
 
 僕は例えばギャルゲーをプレイしてニヤニヤしている時、「こんな自分きめぇ~~wwww」と自分で自分にツッコミを入れたりして、少なからず第三者的視点を持ち自分を客観視してしまいます。
 この主人公は自らを「キモオタ」と呼び、「こんなキモオタ放っといてくれ」と自虐的に語ったりしますが、これは僕と同じく自らを客観視しているからで、やはり世の諸兄も多少は客体化して自らを眺めていると思います。
 現実を意識し、虚構から距離を取ろうとします。その上で「それでいいんだと」心に決め、のめり込みます。
 
 世間体を気にせず萌え狂える強靱な心を持てたならそれが理想ですが、現実には「キモがられようと俺は萌えるっ!!何か文句ありますか?(´・д・`)」ってな具合にならざる終えないと思います。
 果たして微塵も世間体を気にしないで萌え狂える勇者様はいらっしゃるのでしょうか……?

 それはともかく、僕らは【決して主人公にはなり得ない自分】を抱えて、それでも擬似的にでも主人公になれる時間を求めてギャルゲーやネトゲをプレイします。
 日常をやりすごす為の休息装置として、それらを求めます。もちろんそれによって現実が豊かになるという側面もあるのでただの休息装置ではありませんが、それでも【向こう側には行くことはできない】という大前提があって、その壁を僕らは誰も越える事はできません。
 僕含め世の諸兄達は、その壁の存在をひしひしと感じながらも、決して手の届かない向こう側に、それでも必死に手を伸ばし続けます。なぜなら虚構を愛しているからです。

 前置きが長くなりました。
 僕が最初に問題提起した事は、この「絶対的に夢の主人公にはなり得ないおたくという存在」を主軸に据えた物語が、結局は【夢見た主人公となって世界を救うという古典的な物語】になってしまったという事なのです。
 現実では僕らは選ばれたくても選ばれえない。けれどこの主人公はまさに「選ばれし者」であるわけです。
 この主人公は序盤で「現実なんて糞喰らえ!」的に現実に苦しんでいたはずです。ですが逆説的に、だからこそそこには現実が多少なりとも描かれていた。
 しかし主人公の現実は、羨ましい事に夢見た「虚構」だったのであって、現実はどこかにふっとんでしまった。
 皆様はここから何を思うでしょうか? 

 僕の個人的な意見を言えば、いま僕はこの世界を愛そうとしているという個人的な事情もあり、「現実を描いて欲しかったなぁ」と思ってしまったというのが正直なところです。
 というか、僕はこの物語が結局内輪受けに収束してしまった感を受け、おたくを主軸に据えた意味が半減してしまったのではないかなぁと思ってしまったのです。
 
 おたくとは否応にも現実に捕らわれざるおえない存在で、それこそがおたくなのに、そこから現実を抜き取ってただ僕らを気持ちよくする為だけの物語になってしまった事が、不遜な言い方になってしまうかもしれませんが「もったいないなぁ」と思えてしまったのです。

 主人公ががおたくである為、序盤から僕らおたくは彼にどっぷりとシンクロします。
 そして物語は主人公がおたくという「虚構の勇者」ではなく、実際に「現実の勇者」であったというお話に移行していきます。
 だからプレーヤーからしてみれば、【虚構の勇者→現実の勇者】という風に、クライマックスでふと気が付くといつのまにか本当の勇者になっていて、だからこそ心揺さぶられる、という構造になっています。
 「序盤のヘタレっぷりがあったからこそ、終盤の主人公が格好良く見えた」という感想をいくつも目にしましたが、これは当たり前で、なにせ序盤の主人公は「僕ら」なのですから、終盤になって物語の勇者になってしまった主人公が格好良いのは物語がそう要求するので至極当然で、それはもはや僕らの憧れの存在になっていて格好良くないはずがないのです。
  お姫様救出の主人公がヘタレでは、エンタメ的物語で考えれば、お話が収束しません。というか、もはや物語はそう駆動しているのです。

(まあ悲劇的なお話ならその逆もあって、姫死亡で世界崩壊もあってよいとは思いますが、この作品でそれをやるのはかなり無理があって、それはこの物語がヘタレからの成長物語を軸にしているからで、もはやいっぱしの勇者になってしまった主人公が再びヘタレに戻るとは運命に負けた事を意味するので、これではプレーヤーが何も得るものがありません。
 というか悲しいだけで、物語が「途中」という感が強く残ってしまい、評価を貶める事になってしまいます。
 ギャルゲーでこれをやるのはかなりリスキーで、このゲームのバッドエンドがそんな具合でしたが、やはりバッドエンド扱いにならざるおえないんだろうと思います。
 仮に悲劇をやるならば、世界を救った後に主人公は自らの運命を受け入れ消える、とか、そんな「前向きだけど悲しい」的にするのがベターなんじゃなかろうかと。……僕は偉そうに何を言っているのでしょうか?)

 ええとつまり、【現実のぼくら】を序盤で描いておきながら、いつのまにかそんな僕ら(主人公)が【夢見た勇者】になっているという構造はかなり巧妙で、ばっちり嵌っていると思います。

 前述した通り、これは【中二病中二病による中二病の為の物語】であって、巧妙に隠された?中二病ゲームなのです。
 僕らは「中二病(笑)」という具合に自虐的に笑っておきながら、実は本気で中二病だった自分に出会うという、なんともはや、「そんな自分が好き!」ってなれるゲームですw
 
 ゲームという虚構の中でゲームに嵌る主人公、その主人公は虚構に価値を置き、ある種の諦念を抱いている。電波娘に「中二病かよ!?」とか言ったりして、現実は現実でしかない事をシビアに受け止めている。 
 でもそんな主人公に事件が起り、主人公の物語はまさに虚構の物語と化してしまう。
 そして選ばれた悲劇の主人公になり、世界を救う為に立ち上がる主人公。
 「選ばれるわけないんだよなぁ」→「やべっ、選ばれた。うわーい」

 これを中二病と呼ばずしてなんと呼ぶ。
 現実に物語に巻き込まれるなんて、これこそ僕らが思い描く理想の物語じゃないですか。
 テラうらやましす(´・ω・`)

 主人公は中二病という言葉を多用しますが、結局はこの物語の「展開」それこそが中二病的であって、主人公になりえない諦念に包まれていた主人公が、結局は本当に中二病を具現化したような物語の主人公になってしまうのですから、相対化されているようで全くされておらず、「世界を救う勇者」というリアル中二病設定に飲みこまれてしまった主人公は、彼は否定するかもしれませんがこれ以上ないくらいに生き生きとしているはずです。
 だって色々と大変な目に遭いますが、何度も言いますが、主人公がう・ら・や・ま・し・いっ!!

 物語序盤ではやたらと中二病という言葉を用い、僕達に自虐的な共感を求めてくるのに、最終的には中二病を地でいく物語をよしとするその制作者様の姿は、見方次第では清々しくもあるかもしれませんが、結局は現実を生きなければならない僕にとってはなんの解決にもなっておらず、「虚構と現実」というテーマが置き去りにされているように感じられ、「その部分の葛藤をもっと描いて欲しかったな」と思ったというのが、先程述べた【現実が描かれていなかった】という意味です。
 
 結局全てが虚構に回収されてしまった。
 それでいいのでしょうけれど、それがおたくでない人には届かない、「内輪にしか届かない」作品である事を考えると(だって中二病作品なんだ)、おたくという現実と虚構のせめぎ合いを描ける希有な主人公を据えたこの作品、もっと違う発展可能性もあったのではないかなと思えてしまいます。
 
 このゲームは外には開かれていなかった。
 おたくという、社会と切っても切り離せない存在を軸に据えていたのにも関わらず。
 そこにある種の限界を感じずにはいられません。
 
 それはこの作品を入れ子構造的にしてしまえる事からも窺えて、この物語のエピローグの後に「~という夢を見た。ウヒヒッ!」と、実は全てが主人公がプレイしていたゲームや妄想だったという風にしてしまっても、それはそれで違和感もさほどなくあり得てしまうのではないかと思えてしまいます(僕だけ?)。
 僕としてはこのような話だった方が、評価できたのですけれど。ある意味、おたくの現実を描いているから……(僕にはそう思えます)。 
 
 「おたく的妄想力が世界を救う!」というお話よりも、「おたく的想像力が世界を壊す!」というお話の方がより現実な実感としては近いのですが、これはまあどうでもいい話なんですかね……。

 主人公におたくとしての矜持が欠けるというか(最終的には彼は虚構を否定し現実の充実を求めるわけですから。セイラたんを退けましたし、エンドロールでセイラたんフィギュアが静かに天を仰いでいるシーンからもそのようなメッセージが読み取れます)、でもまあそれはやはり物語が虚構に回収されてしまったからなので、仕方のない事なのでしょうね。
  
 この作品は、良くも悪くもおたくが抱えるべき【現実の痛み】を引き受けていなかった。
 自らがおたくである為、そこを描いてくれないとちょっと納得できないなぁと、そう感じました。

 ……おそらくこんな事は僕以外の人にとっては些末な問題なのでしょう。上述した事は全く持って共感を得られないだろうと推測されます。
 それはそれで仕方のない事なのですが、やはりちょっとさみしいので、あともう少しだけどうでもいい事を書いてみようと思います。

 【カオス=混沌】なわけですが、虚構と現実という観点から考えると、それほど混沌としていなかったのではないかな、と思いました。
 この物語は序盤で混沌を描き、そしてそれに意味づけを施していく、つまり種明かしをしていく事によって物語を収斂させていきます。つまり霧が晴れていくわけです。
 ですが、理由付けをするという事は未知ではなくなるという事であり、カオスでなくなっていくという事でもあります。
 まあそれはミステリーなら当たり前の事であり、この作品は一応ミステリーなわけで、それはそれでごく自然な事ですし、そのこと自体にはさして不満はありません。
 が、僕は序盤は楽しめたのですが、終盤は微妙だったのです。
 それは理由付けがチープだと感じられてしまったからです。

 【妄想と現実の区別、あなたは付いていますか?】と煽っておきながら、その全ての妄想が、超能力とハイテクノロジーと国家的陰謀に収斂されてしまっては、「ほほう」くらいしか言えなくなってしまいます。
 特に僕は国家的陰謀には辟易していて、ドラえもんのポケットよろしく、ほとんどのミステリーがそこに集約可能なので、個人的にはもうそのネタを持ち出すライターさんの力量は疑ってしまうくらいに勘弁願いたい代物となってしまっています。
 そしてこの作品の黒幕も国家的陰謀。
 おおい、僕にいったい何を驚けというのでしょうか? 
 しかも超能力と来ましたか、ううん、どうしよう……。
 好きな人は好きなんでしょうが、僕は途中でちょっとどうでもよくなってしまいました。(だからここで言っている事も間違っているかもしれません。なにせ終盤はスキップ多用していましたから……)
 
 うーん、言いたいことは言ったかな。 長々とお付き合いありがとうございました。
 あれ、でもなんだか批判気味な記事になってしまった気がするなぁ。
 でも僕楽しめたんですからね。このようにごちゃごちゃ考えてる事が、楽しめた証拠です。
 どうでもよかったら考えませんから。
 
 では最後にご一緒に。 
 ( ゚∀゚)o彡° ななみっ、ななみっ!!