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趣味の徒然うつらつら(2016年他ブログより移転)

ヤンデレについて。

一口にヤンデレといっても意味が広範におよびすぎるので、ここではSchoolDays桂言葉を念頭に置き、説明していきたいと思います。では。

まず結論を述べさせていただきます。
ヤンデレとは、視聴者が物語に移入できていない(していない)為に、悲劇が喜劇に見えてしまっている物語が孕むヒロインの事である」
以下、説明しまうす。

ヤンデレとは「主人公に惚れており(デレ)、ストーリーの進行に従って明らかになる何らかの事情により、精神的に病ん(ヤン)でしまう女性、もしくはその状態を指す」byはてなダイアリー

SchoolDaysという作品は、一言で言ってしまうと主人公が二人の女性の間で揺れ動く三角関係を描いた作品です。
その片方、桂言葉というヒロインは主人公に惚れており、しかも周囲とうまく溶け込めていないため、主人公が精神的支えになっています。
そしてとある物語「ルート」では、この桂言葉はその想い故に、主人公がもう一人のヒロインといちゃついているのを見て精神崩壊を起こしたり、あげく凶行に走ったりしてしまいます。
(もう一人を殺しちゃったり……)
ですが全ては一途な恋慕が招いた結果であり、その意味で言えば桂言葉のこの凶行はとても悲しい惨事となります。共感を呼びます。

ですが、さあどうでしょう。
SchoolDaysを実際にプレイされた方ならわかると思いますが、実際にこの凶行を見ている視聴者はその凶行を見て悲しんだりなどしていません。(悲しんだ人、もしいらっしゃいましたらそのピュアハートを大事にして下さい……)
実際の所、その凶行を「笑いとばして」います。
「うっはぁ~、なんぞこれ~!!」と言って指さして楽しんでいます。

ニコニコ動画SchoolDaysの凶行シーンにウイニングイレブンの実況を付けて、まるで試合を楽しむかのように視聴できる優れたMADがUPされていますが、この動画はヤンデレというものの本質をよく捉えています。
基本的にはヤンデレを見る時、私達はこのようにまるで観客になって試合を見るように、作品と「距離を取って」視聴しているのです。
(その動画は記事最後に貼っておきます。一見の価値あり)

三角関係を見ていても、私達は桂言葉にも、そして本来ならシンクロしてもおかしくない主人公にすら移入していません。
外側からニヤニヤしながら傍観しているだけです。
つまりは極端に言えば、展開によって導かれて心を動かされておらず、その刺激を享受しているのみとも言えるのです。

私は思うのですが、このSchoolDaysという作品、概要だけ聞いたらとても悲劇的な話だと思うのです。
前述しましたが、特に桂言葉に寄り添って見れば、涙を流してもおかしくないのではないでしょうか。
桂言葉でなくても、主人公の誠に寄り添うとしましょう。
すると今度はサスペンス要素を孕みます。
つまり愛する人が自分を襲ってくる不安と恐怖と自責の念。
いきなりナイフで襲われたらホラーですよ。ほんとに。(作り方によっては本気で捻れた純愛ストーカーものでホラー作れる)
それにストーカーまがいの行動も、自らの行動の結果であり、責められるべきは自分、なのでヒロインの凶行も恐怖であり悲痛なものとなります。

要するに、この作品、視聴者が移入できる器「悲劇の主人公(ヒロイン)」を用意しきれていないのです。
だから視聴者は作品と距離を取り、指さして笑うように物語を楽しむ事となります。
言い方は悪いですが、悲劇のなり損ねがヤンデレを産む、とも言えちゃったりするのです。
ただSchoolDaysの場合、ある程度B級作品を創ろうと制作者が自覚していたと思うので、その点ではその拙さは狙ったものだと思いますが。

これ、SchoolDaysはいいんですけど、ただ物語構築が稚拙である為にヤンデレに「なってしまった」という作品は悲惨です。制作者陣、ユーザーが作品を笑っているのを見てがっくり。感動させたかったんだけれど……みたいな。こ、こわゆ……。(余談。fate桜ルートはちゃんと悲劇的に描いていたと思うのだけれども、どうでしょう?)

これは友人が言っていたことですが、「自分がうんこを踏んだら悲劇。他人がうんこを踏んだのを見たら喜劇」なのです。
SchoolDaysは明らかに、通常なら主人公・誠が視聴者の代行者である事を担う物語と見えるのに、その誠がうんこ踏んでるのを見て、私達は指さして笑っているのです。良くも悪くもそのように設定され、作られています。
これが仮に物語作法的に移入を誘うようにうまくいっていれば、私達もうんこを踏んだ事を誠と共に悔やむ悲劇にもなりえた題材でもありました。(設定の差異あれ、同じ三角関係物の名作「君が望む永遠」では、主人公にシンクロしすぎて心にトラウマを負ったユーザー多数。あれは悲劇的な物語として受容されていますよね)

悲劇とは、視聴者が作品に移入する事を前提とします。
喜劇とは、舞台を見るように作品の外部から見渡し、その自分とは関わりのないという外部性を前提として笑いや感動へと誘います。
僕の大好きな喜劇作家・三谷幸喜作品の面白みは、全てが最後には上手くいったという事が観客だけにわかり、そこで「ああ、よかった」とほっとするという安堵感が大きなファクターとなっているのではないかなぁと思ったりします。そこには観客の優位性が計算されていると思うし。どうだろう。

で、まとめます。
ヤンデレとは、「純粋な想いから病んでしまうという、健全な悲劇になれる要素を持っているのに、視聴者に悲劇ではなく喜劇的に受容されている作品が産み出す萌え属性」といえるのではないか。それがSchoolDaysヤンデレの発生条件です。