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がんばっていきまっしょい。

おたくな僕にとって美しいとは何か。

皆様にとって「美しい」ってなんですか? 
どういう時に美しいと感じますか?
街を染める夕焼けを見たとき?
それとも高校球児の涙を見たとき?
ああ、世界は美しいで溢れているなぁ。
でも、美しいと感じるものは人それぞれ。
黄金比率など、ある程度万人が美しいと感じるものは定義されていますが、それでもやっぱり個々に感じる美はその人が決めるもの。
では僕にとって「美しい」とはなんだろう?
考えてみました。
その結果、出た結論が、僕にとって美しいとは「異性を感じさせる空間」でした。
でした…………。

以前、橋本治という作家の「人はなぜ美しいがわかるのか」という本を読んだ事があります。
それ以来僕は「じゃあ自分にとって美しいってなんだろう?」とぼんやり考えるようになりました。
その本の中では「合理的なものが美を感じさせる」「いや、実はそうではなく、ただそこに存在しているものが美を感じさせる」という事が書かれてありました。
これはとても納得がいきました。(ただ、僕の誤読の可能性がありますので、興味を持たれた方は是非お手に取られてみてください)

雲はただ存在し、流れていきます。
それは誰の為でもなく、自分の為でもなく、一つの存在としてそこに在るだけです。
何者にも犯される事のない完全な存在。
そんな存在に憧れるから美しいと感じる、この心はとてもよくわかります。
もちろん、それだけではありませんよね。
雲の流れを万物流転の感傷に浸り美しいと感じたり、あんな雄大な存在になりたいという羨望から美しいと感じたり。
それら全ての思いの複合作用としての美しさという事もあります。
美しいとは何かなんて定義できない、その人がそう思えばそれが紛れもなくその人の感じる真実の美しいだと思います。
誰にも他人のその感覚を否定する事なんてできません。
僕はそう思います。
思うんですよ。

……なぜ僕はこんなにも強弁に「人それぞれ」だと述べているのでしょうか?
それは逃げ道を確保しておく為です。
なにせ僕の中での美しさとは「異性のいる空間」なのです。
どれだけA-boyなんだよという感じです。
ですから美を感じる心は人それぞれ、と言っておく必要があるわけです。
ふふふのふ。

それでは具体的に「異性のいる空間」とはどういう意味なのかを説明していきます。
例えば、前述の雲の流れを美しいと感じる例、僕もそれに共感するという事は既に述べました。

―――僕はぼんやりと空を見上げ、雲を眺めています。
ああ、美しいなぁと心が満たされていく。
もしかしたら猿岩石の「白い雲のように」が頭の中で流れているかもしれません。
そこでの胸の内は前述の万物流転の感傷であったり羨望であったりするでしょう。
ですが、ここで若干の違和感を感じます。
なにか背中がムズムズして、落ち着きません。
はて、どうしたのだろう。
そこではたと気が付きます。
「……そうか、僕はもしかしたらこの「空を見ている自分」というものに酔っているのかもしれない」

空を見ている自分を『見ている自分』がいるわけです。
神の視線、と言ったらわかりやすいでしょうか?
周りには誰もいないにも関わらず、誰かの視線を求めている。
僕はこの時、頭の中でその僕を見ている人物を想像しています。
そしてその神の視線ですが、その視線はまず間違いなく女性です。
しかも僕の好みの女性です。
僕は雲を見ている自分の側に、そんな娘がいてくれる事を思い描くという幻想を楽しんでいます。
そしてこんな情感を抱かせてくれるもの、これが僕にとっての「美しい」だったのです。

もちろん僕は雲も美しいとは思っていますが、その美しさは「純粋な」ものではなく、それを利用する事で僕は異なる快感を得ている事になります。
それは「異性のいる空間」という幻想快感です。

もっとわかりやすく言いますと、僕が「美しいなぁ」と感じる時、その美しさを共有してくれる女性も共に思い描いてしまう、という事です。
脳内彼女、とでもいうのでしょうか、もしかしたらこの言い方が一番的を射ているかもしれません。

じゃあ何故異性を感じてしまうのか。
それは頭の中で以前見た漫画やゲームのシーンを思い浮かべているからです。(特に美少女ゲーム
それが僕の憧れとなっており、それこそが美しいものだと感じ入っているものなのです。
至極自然にこの結びつけを僕は行ってしまいます。

例えば海に行けば
(ああ、メモオフ2ndはこういうところで展開されたのかなぁ)

例えば離島に行けば
(ああ、おかえり!の渚みたいな娘は本当にいるのかなぁ。いるならお近づきになりたいなぁ)

結論ですが、
その場で美しい海や緑を見ている時、そのものを受け取っているわけでなく、実はその「過去にプレイした世界観」や「美少女ゲーム的世界に歪曲させられた現実」に浸っているのです。
そのものの美しさを感じているわけではなく、あくまでも「空想の甘美な世界」に浸ってほぅ~っとしているのです。
前述の自分に酔っている、自分を見ている視線とは、幻想物語世界に浸っている証拠であり、この時、僕の中で現実は美少女ゲーム空間と化しています。
主人公と化している僕。
こ、これは…………。

どう見ても明らかに秋葉原コンテンツの弊害です。

僕の審美眼は完全に萌えに浸食されてしまいました。
本当にありがとうございました。